あれから25年…
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の「兵庫県南部地震」が発生。のちに【阪神・淡路大震災】へと改称。
関連死を含め犠牲者は6,434名に達し2011年3月10日まで戦後最悪の地震として記録され日本国内のみならず世界にも衝撃を与えた。
【阪神高速道路の倒壊】
やはりコレなのかな。
コレが「都市直下型地震」の本当の恐ろしさになります。地震発生と共に下から突き上げるような衝撃の後に激しい横揺れが起こり橋脚部分が破壊されました。
この日は建築業界にも激震が走りました。日本の高速道路は絶対に倒壊しないと言う「安全神話」がありましたがこの地震と共に同じく崩れ去りました。
【阪急電鉄 伊丹駅】
昨今の大きな地震は「マグニチュード」や「震度」ばかりに注目が置かれていますが、通常の震度7でここまでの倒壊をする事は稀と言え、その他の大型施設も軒並み柱部分から潰れるように倒壊しました。
・耐震から免震へ
この地震が発生するまでは強大な地震エネルギーでも「耐震構造」で耐えられると考えられていましたが「都市直下型地震」については耐えるよりも「逃がす=免震構造」が適正であろうと。近年作られた大型建造物は全て免震構造だと思います。
・耐震から超耐震へ
新しく作る建造物は予算の絡みがあるとはいえ設計段階から「免震構造」に変更できますが、既存の建造物は原則的に移行できません。
であれば?
強大な地震エネルギーに耐えれるよう「超耐震構造」にするしか生き残る方法がありません。
【阪神高速道路の橋脚】
柱部分の色味が違いますがわかりますかね?
【鉄板を溶接】
「鋼板巻き立て工法」と言われその他にも何種類か方法があり炭素繊維(カーボン)を巻き付ける方法もあるそうで『二度と倒壊させるか!』という想いがヒシヒシと伝わってきます。
・大規模火災
分かっているものだけで地震後に計285件の火災が発生し、大規模停電に加え上水まで断水したのでまともな消火活動が行えませんでした。この火災が無ければもう少し助けることができた命があったと言われています。
当時のNASAの衛星画像でも確認できる程の大規模火災になりました。住民によるバケツリレーや河川からの給水によって徹夜で消火活動をしたうえで鎮火まで丸2日かかったそうです。
この当時はスマホどころかまともなインターネット環境などありません。錯綜する情報によって現場は大混乱となりました。
拍車をかけたのが?
地震発生時は自社さ連立政権であり、首相は日本社会党(当時)の村山 富市氏。
地震後の政府の対応は現代のものさしではぶった切られる事ばかりですが、正直なところよくわからないと言うのが僕の本音ですね。一部で超法規的措置がとられましたが初動対応の遅さもあり激甚災害に指定されたのは半年後の同年7月25日。
親の仕事の絡みで震災直後の神戸市以東に幾度と足を運びました。テレビの中の世界が目の前にあることに強い衝撃を受けたことを今でも覚えています。
この大震災を一言で言い現わすことなど不可能です。
でもね?
どのような“形”であれ後世に残す事ができます。
「神戸ルミナリエ」に否定的な意見があるのは知っています。
震災後に生まれた若者たちへ1年に1度のバトンタッチ。
25年経った今でも引き継がれる「阪神・淡路大震災」の記録と記憶。この大震災から学ぶことはまだたくさんあります。
特にこれから建築を学ぶ学生諸君はこの大震災から多くを学び次に活かして頂きたいと思います。
【鎮魂と追悼の継承】
神戸ルミナリエ2019