はい、そういうわけで!
6月に入りただボケーッと体を休めていただけではなく、もちろん次なる秘策を考えていました!
【 ミスター・ポーゴ 】
そうですねぇ…僕が初めて哲夫さんと出会ったのが1994年8月の大阪城ホールでした。
この日のメインイベントは大仁田厚と誠心会館館長・青柳政司 による「ノーロープ有刺鉄線電流爆破バリケードマットダブルヘルデスマッチ」でしたが、翌週の週刊プロレスの表紙を飾ったのがこの一枚でした。
大仁田厚を「光」とするならば、哲夫さんは正しく「闇」であり、常に光と闇は「一対」であるということ。
FMWがここまで大きくなれたのは哲夫さんの功績も大きかったわけです。
ソレはいいとして!
すでに哲夫さんは他界してるので力を借りるも何も…いや肉体は滅びようが…
【 ヤマタノオロチ 】
滅びることは無い!
コレにも登場するんだけど、あいにくビデオデッキが壊れてて観れないんだよね。
要はね、このような一連の作業は本当にケースバイケースと言うか「適材適所」になることが多々あります。
それなりに状況に合わせ特化させた道具があった方が作業がしやすいわけですね!
全て実費製作ですから!
つづく