本日は1月10日なので令和6年1月1日、元旦から10日目となり被災地の状況がおよそ判明してきました。
つきましては、「記録」として当ブログでもこれから取り上げていきますが、あまりにも膨大な情報量になるので端的に重要な項目に絞りたいと思います。
何よりも「大規模自然災害」を考えるきっかけとして、また自身が被災したと仮定した場合の心構え等も書いていきたいと思います。
今回は1発目なので1月1日の地震発生時を振り返りたいと思います。
一度目の地震が「4時06分」になります。もちろん大阪でもニュース速報が流れました。
この時の速報値で「震度5強」でしたが、ここ20年以内に建てられた木造戸建てにおいては耐えられるのでそこまで大きな被害は出ないであろう。
その後でしたよね?
二度目の緊急地震速報が鳴り「4時10分」過ぎに能登地方で強烈な地震が発生しました。これが本震でした。
『あっ…』と感じました。
画面左側に土埃が確認できますが、これは単純に家屋の倒壊を意味します。
この土埃がみるみる拡大していきます。つまり倒壊した家屋は一軒二軒ではないであろう。
震度…6弱…6強…6弱…6強…このライブ中継では映っている地域の震度がわかりませんが、もうただ事ではないことぐらい瞬時に理解できたと思います。
その後に「震度7」に変わりましたが現状では震度7が上限になります。
とりあえず甚大な被害がでてしまったこと…詳細はわからないものの多くの犠牲者がでることも確定しました。
この「大津波警報」に切り替わった瞬間に各局のアナウンサーの声のトーンが変わりましたが、正直なところ僕も背筋が寒くなって怖くなりました。
で、翌2日になっても3日になってもこの「大津波」の映像が全然出てきませんでしたよね? 震源地が近すぎて最短で地震発生から1分ほどで到達しました。
3.11東日本大震災では最大で「16.7m」を記録しましたが、ソレに比べると大したことがない…と感じた人が多かったように思います。
この「3m」でも建物の一階が全て浸かる高さになりますが、家屋に残っていれば死亡確率はおよそ「100%」になります。5mは話になりません。
とりあえず日本列島が大きく揺れましたが大阪市で震度3でしたね。
これまでも大阪市では震度1や2がそれなりの頻度で発生してましたが基本的に感じることはありませんでした…が、今回の揺れは長かったし船酔いみたいな感じで気持ち悪かったよね。
あとはコレか。
とりあえず停電してなさそうなので一安心しましたが…いやはや。
まぁそういうわけで、これからパートを分けて書いていこうと思いますが、他にも書きたいことがあるし、まだ全容が見えていないので確定してる項目から書いていきます。
おわり