【 阪神・淡路大震災 】
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖を震源としてマグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。
【 鎮魂と追悼の継承 】
なぜ僕が「防災」を書くのか?
当時14歳(中2)の僕も駆り出されたからです。当時はインターネットやスマホなど無く、テレビの中の世界が目の前に広がっていた衝撃を今でも強く覚えています。
これは5年前に書いたので、この時の息子もあの時の僕と同じ中学2年生(14歳)になりました。
我が家は「高野山真言宗」なので少し紹介しておきます。
【阪神淡路大震災物故者慰霊碑】
和歌山県高野町「奥の院」に佇んでいます。
墓誌
阪神淡路大震災は、平成7年(1995年)1月17日午前5時46分 淡路島北部を震源地とし震度七の未曽有の大地震が発生した。
阪神淡路地域は一瞬のうちに阿鼻地獄となり六千余名(内外国人一六十三名)の死者と倒壊家屋 火災焼失家屋十五萬余戸三十余萬人の被災者を出した。
高野山真言宗と総本山金剛峯寺は心から大震災により犠牲となられた物故者供養のため慰霊塔を建立し、至心に冥福を祈ると共に被災地の早き復興を祈念するものである。
霊名簿は御堂に納め永久保存の措置を施して奉祀す。
平成8年1月忌晨
高野山真言宗
総本山金剛峯寺
少し前にこう書きました。
【 令和六年一月十六日 】
伊勢神宮へお参りに行くことは昨年末に決めていましたが、当初の予定では自分自身の為にと考えていたと言いますか…もう1月5日から僕のリハビリ生活が始まっています。
ただね、本日1月17日は令和6年能登半島地震が発生し2週間以上経ちますが、被害の大きかった輪島市、珠洲市の全容が未だに判明しておりません。
『もっと生きたかった…』 犠牲になったご本人が一番悔しい思いをしています。だからこそ…しっかり前を向いて…難しいと思うけどね。
2024.1.17